トリクルなき成長国家、日本列島の危うい現在地

タカイチノミクス

これは選挙ではない。「どんな国になるか」を選んだ日だ

今回の衆院選の結果は、単なる政権選択ではなかった。日本社会がどの方向へ進む覚悟を持ったのか、あるいは持たなかったのか。その分岐点が、極めてはっきりと可視化された選挙だったと言える。経済政策や外交姿勢といった表層の争点以上に、「この国をどんな社会として存続させるのか」という、より深い価値観の選択が突きつけられていた。

移民問題が「仮想敵」として消費される社会

象徴的だったのが、移民問題をめぐる空気である。本来であれば、人口減少と労働力不足という構造問題にどう向き合うかを冷静に議論すべきテーマが、「上を見ず、横を見る」構図の中で消費されている。さらにそこに「エイリアン=外部の仮想敵」を設定することで、不安や怒りのはけ口として機能してしまっている。経済的に苦しい立場に置かれた人々の不満は、本来であれば制度や構造を作った側へ向かうべきものである。しかし現実には、それが同じ生活圏にいる他者や移民へと横流しされる。包摂的な思想にあえて唾を吐き、排除を煽る政策を掲げる政党が一定の支持を集めている事実は、危機感というより恐怖の広がりを示している。社会が貧しくなるとき、人は合理性よりも「敵が明確な物語」にすがる。その兆候は、すでに日本でもはっきりと現れている。

トリクルが「回っていた国」は、もう存在しない

こうした分断の背景には、トリクルダウンが機能しなくなったという事実がある。ただしこれは、単なる経済理論の失敗ではない。かつての日本は、結果として「社会主義的」とも評される国家像を持っていた。成果の分配が完全に平等だったわけではないが、分厚い中間層が存在し、横並びの意識と再分配が事実上機能していた。突出した富を得ることにはどこか居心地の悪さが伴い、「出る杭は打たれる」という言葉が象徴するように、過剰な独占には社会的なブレーキが自然とかかっていた。それ以上に重要だったのが、惻隠の情である。弱い者、つまずいた者、落ちこぼれた者を完全には切り捨てない。「皆でなんとかする」という暗黙の了解が社会の底に流れていた。その情と中間層の厚みが相まって、結果的にトリクルダウンのような緩やかな分配が成立していた。

自己責任と新自由主義が社会を変質させた

しかし今、その前提はほぼ崩れている。地域コミュニティは希薄化し、個人主義が広がった。そしてそれと同時に強まったのが、「自己責任」を基軸とする新自由主義的な価値観である。理念としての自由競争ではなく、実態としては「個人と特段親しい人の便宜を図る」クローニー・キャピタリズムが横行し、かつての結果重視の社会主義的国家像は、気づけば「個人と近親者だけを守る」近親者主義へと変質していった。¥この構造の中では、資本や人脈を持つ者はさらに強くなり、持たざる者は静かに脱落していく。「自己責任」という言葉は、努力や挑戦を促すスローガンとしてではなく、排除を正当化する装置として機能し始める。怒りは上には向かわず、横や外へと分散され、社会は分断されたまま硬直する。株価が上がる一方で、生活が楽になった実感を持てない人が増え続けるのは、偶然ではない。

貴族と奴隷――日本はここまで来てしまった

現代の日本社会を「貴族と奴隷の国家」と表現することは、決して過激な比喩ではない。貴族とは、資産・株・不動産を保有し、人的ネットワークを通じて情報と機会に常時アクセスできる層である。一方の奴隷とは、非正規労働者、フリーランス、ギグワーカー、ひとり親世帯、中小企業で働く人々だ。法の下では平等でも、決定的に違うのは「選択肢の数」である。この差は、もはや努力や能力の問題ではなく、新自由主義的な制度設計の帰結として固定されつつある。

トリクルダウンという幻想

この構造を正当化する際に持ち出されるのが、トリクルダウンという考え方だ。しかし結論は冷酷で明確である。トリクルは起きない。しかも偶然ではなく、構造的に起きない。株高の恩恵は資産保有者に限定され、企業収益が過去最高を更新しても内部留保は賃金に回らない。非正規やフリーランスには交渉力がなく、中小企業はコスト上昇を価格に転嫁できない。上に富が溜まる仕組みは精緻に設計されているが、下に流す仕組みは最初から存在していない。

ブーストの正体は「成長」ではなく「分断の加速」だ

「ブーストがかかった国家となり、結果として衰退する未来」という表現は、一見矛盾しているように聞こえる。しかし実際には何の矛盾もない。上位層、大企業、資本市場は爆発的なスピードで加速している一方で、中間層以下は置き去りにされ、時に逆噴射を強いられている。国家全体が成長しているように見えるのは平均値が引き上げられているからに過ぎず、実態は分断そのものが高速化しているだけだ。この流れの起点は、小泉改革とアベノミクスにある。日本型社会保障と終身雇用を前提とした戦後モデルは解体され、金融緩和と株価重視によって経済にはブーストがかかった。しかし分配は後回しにされ、自己責任と新自由主義が制度として固定化された結果、成長の果実は循環しなくなった。この状況で移民問題が仮想敵として消費され、怒りが横や外へ向かうのは必然でもある。上を見ない社会は、必ず横か下を叩く。

日本は、もう分岐点を通過しつつある

日本は今、速く走っている。しかし同時に、バラバラの方向へ引き裂かれながら走っている。このままでは、貴族と奴隷という構造は固定化され、静かな衰退が進むだけだ。問題は、ここから先をどう描くのかである。成長を否定するのか。分配を再設計するのか。それとも、新自由主義と自己責任を前提に、分断を受け入れた国家として割り切るのか。今回の衆院選の結果は、日本がその岐路に立っていることを、否応なく示している。

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